ツッコミの価値と「さくら荘のペットな彼女」

ツッコミ役が不在のコメディは読んでいて困ることが多い。

登場人物がボケてボケてボケて、そのまま放り出されてしまうと、締まらない。
何処かでツッコミを挟んでくれないと、笑いどころがわからない。
自分でツッコンで楽しめるのならいいけれど、自分でツッコムのは意外と疲れる。
だから登場人物の誰かがツッコミ役となって、読み手のツッコミたい気持ちに応えて欲しいのだ。
ツッコミ役はたいていの場合、主人公になる。
ツッコミ役に読者は感情移入しやすいから、主人公がツッコミ役になるのが適しているんだろう。
そして、ツッコミ能力は重要な個性でありながら、読者の側に立つことで”普通”を逸脱しない。
身近さが求められる現代学園ものの主人公にはまさにピッタリなんだろう。

さくら荘のペットな彼女」では、主人公の空太が典型的なツッコミ役となっている。

誰もが敬遠する、常識破りの連中の集うさくら荘に住むことになった”平凡”な主人公。
彼はどんなに振り回されても、他の住人の奇矯な言動にツッコムことをやめない。
周囲から浮かばずにはいられない人間達を、地に繋ぎ止めようとするかのように。
その努力を嘲笑うかのように彼が振り回され続けるのが、コメディとしてのこの作品のお約束だ。
でも、その努力は決して無駄ではない。

物語では多かれ少なかれ”特別”が描かれる。

ツッコミ役は、何が特別で、何が特別でないかを示してくれる。
普通と、特別の間を隔てる目隠しを取り去って、その間にある溝を露わにしてくれる。
相手せず、無視すればすむところを、あえてツッコムのはそれに光を当てることなのだ。
学園ものの登場人物として落第の、周囲を逸脱する才能を持った面々を舞台に引き込む才能。
そんな個性が値千金の価値を持つユートピアとして、さくら荘という舞台はある。
そこでの恋は、普通と特別を隔てる溝を挟んで繰り広げられる。
一つ屋根の下なのに、相手が見えない、手を伸ばしても届かない。
それが恋愛ものとしてのこの作品のお約束だ。

ヒロインのましろは、世界も認める絵の才能の持ち主だ。

代わりに、自分の服を選ぶこともできない生活破綻者でもある。
絵を描くこと以外の全てを人に委ねることに何のためらいもない。
まるで絵以外の全てに価値を感じていないかのように。

そんな彼女の世話を押しつけられた空太は、せめて常識という首輪で彼女を繋ごうとする。

けれど、そのためには当然相手に近づかなければならないわけで、簡単には届かない。
普通はそんなことを試すまでもなく、人は近づこうとしない。飛ばないし、目指さない。
それでもまめに世話を焼き、あがいてツッコミ続ける空太を、ましろが認めるところから、恋は始まる。

さくら荘のペットな彼女」では、空太はツッコミ役だからこその主人公になっている。

空太は小気味よくツッコミを入れるけれど、それは決して安全ではない。
物語の中で実際に力を持つからこそ、一度地雷を踏めば彼自身に返っていく。
ツッコミを受けるましろは変わっていくけれど、空太の思惑を軽々と超えていく。
そんなままならなさが、この上なく楽しい。そんなラノベです。