原稿用紙10枚分書くこと

 現在の自分の課題のひとつに、アウトプット能力の強化がある。
 ニコマスでMADを作っていたのも、もちろん単純にニコマスが気に入ったのもあるし、映像加工が楽しかったのもあるけれど、自分のアウトプットの幅を広げたいという動機が確かにあった。最近、今のままニコマスでMADを作っていても自分はこれまでと違うものが作れないと感じられて、ちょっと手が止まっている。完成間近まできて見直すと、これまで作ってきたものの焼き直しに見えてしまう。
 だから最近は自分のアウトプットの方法について見直そうとしている。それにはMADはちょっと不向きだ。なぜなら作るのに手間と時間がかかって、試行錯誤するにはロスが大きい。それで最近はライトノベルに関して読んだ本の感想や、ライトノベルをネタに考えた諸々を文章にするようにしている。
 アウトプットの訓練としてはできることなら長い文章を書きたい。けれども、自分が面白いと思う作品について書くときほど、文章は短くなる。それは私が、小説などの創作物をよりよく楽しむには、事前情報がなければないほどいいと信じているからだ。自分が楽しんだものは、他人にも楽しんでほしい。そう考えると、必然的に書けることは少なくなる。ネタばれを避けるために具体的な記述はせず、自分がその作品から受けた印象のみを簡潔にまとめる。読んでいる人はどう感じているのだろう。自分の感想を見て、自分のお気に入りがどれか伝わっているのか、正直あまり自信はない。
 逆に、自分が面白くない、つまらないと感じた本について書くときは書くべきことはたくさんある。ある作品について、それをただつまらないと書くだけではあまり意味がない。駄目だと断じて切って捨てるなんてもってのほかで、それではただの誹謗中傷になってしまう。ある人にとってつまらない作品が、ほかの人にとってもそうであるとは限らない。誰だって好きな作品をけなされるのは悲しいことだし、ある人がその人にとって楽しむことができるはずの作品を評判の悪さから手に取る機会をなくしたとしたら、その責任は誰にあるかは明らかだ。
 ある作品について負の評価をするなら、その評価の理由は説明されるべきだ。評価の基準が評価者固有の趣味なのか、それとももっと普遍的な欠点なのか、あるいはそれ以前に評価者がきちんとその作品を知っているのかといったことが明らかであれば、その評価を受け入れるかどうか読んだ側が判断できるし、反論することもできる。
 なので自分がライトノベルについて書くと、面白いと思った作品ほど文章量は少なく、つまらない作品ほどその理由を書くために文章量が増えるという、多くの人とは逆の形になってしまう。
 そんな風になる理由はもうひとつある。面白さは千差万別だけれど、つまらなさは一様だと感じるからだ。だからこそ自分は10年以上も飽きずにライトノベルを追っていられるのだと思うし、自分にとってつまらない作品はなんとなく見分けがつく。それが文章の長さとどう結びつくのかというと、つまらなさの方が一般化しやすいのだ。だからその本の内容に深く立ち入ることなく、つまりはネタばれを少なく、書くことができる。
 そんなわけで最近は自分がつまらないと思った作品についてもそれについて考えたことをあえて文章のネタとして書いている。

 いつもなら、これで書きたいことが一区切りついたと終わっているところだ。大体原稿用紙にして4枚から5枚分だと思う。自分が書きたいネタを見つけた勢いで文章を書くと、大体いつもこのくらいの長さに収まる。そのことに気づいたのは「原稿用紙10枚を書く力」という本に、「原稿用紙三〜五枚の文章はトレーニングしなくても書くことができる」とあって、自分がこれまで書き散らした文章の長さをちょっと振り返ってみたからだ。そう言われてみると、確かに自分が原稿用紙5枚分を超えるような文章を書いたのは卒論や修論を除けば記憶にない。
 「原稿用紙10枚を書く力」ではあとがきに「原稿用紙十枚という分岐点を超えたら、後は二十枚も三十枚も同じことだ」とある。その「原稿用紙十枚」という分岐点にたどり着く鍵は「文章構築」と書いてある。これを読んで、ニコマスのMADも同じだと気がついた。
 自分はMADを作ってきて、3分のあたりに壁を感じることがよくあった。自分は歌をアイマス以外から借りて、それにアイマスのダンスをあわせるいわゆるPV系のMADを専門に作っている。歌はたいてい1番だけのショートバージョンと2番まで入ったロングバージョンがあって、前者だと大体2分前後、後者は4分から5分になる。ロングバージョンでMADを作ろうとしたとき、ショートバージョンと比べて手間は倍で済むかというと、自分はまったくそんな感覚がない。むしろ4倍5倍、あるいはそれ以上に感じられてとても手が出せなかった。
 ニコマスMADで自分が感じた壁が3分だったのは、MADの性質というよりは歌のショートバージョンとロングバージョンの長さを分けるのが大体3分だとか、アイマスの1曲分のダンスの長さが2分と少しだとか、そういった部分で決まっているのだと思う。それはそれとして、その壁を突破するのに自分に足りないと思ったのは、原稿用紙10枚の壁を超えるのに必要だと書かれていたのと同じ「構築力」だった。自分はMADを作るのにコンテなどを書かないし、完成形を創造することもあまりない。ダンスを拾いながらほとんどアドリブで埋めていく。そうしてできたものを後から見て、ひたすら修正をかけていく。そんな試行錯誤の積み重ねが自分のMADだ。
 そんな作り方に正直、限界を感じている。その試行錯誤が自分の持ち味を生んでいる部分もあるとは思う。けれども、それ以上に無駄が多く、発展性もない気がしてならない。だから最近は文章を書くことに力を入れる一方で、ニコマスのほうはいろいろやりかけつつも何も成さずにずるずると来てしまっている。今も歌を聞けば脳裏にそれに乗せてアイドルが踊り始めるし、映像を見ればそれをどうやって作るのか知りたくなる。だから、MADを作ることに飽きたわけじゃない。ただ、自分が見たいものを形にするためには、MAD以外のところに学ぶべきことがあるということだ。それまでニコマスが待ってくれてるならよいのだけれど。
 というわけで、今までは漫然と文章を書く習慣を身に着けることが自分への課題だったのだけれど、これからは原稿用紙10枚分を超える、4000字、8KBの文章を書くことが課題だ。そんな文章をコンスタントに書くことができる構成力を身に着けることがその目標となる。ちなみにこの文章はここまでで約5.3KBしかない。正直、挫けそうだ。

 ここまで書いてきて、原稿用紙10枚を超える文章を書くためには書きたいネタがひとつでは駄目なんだと感じる。この文章はこの段落で3つ目のネタに入り始めた。そしてキーワードとしては「長文を書く構築力」「ライトノベル批評」「ニコマスMAD製作」になると思う。三題話とはよく言われるけれど、「原稿用紙10枚を書く力」の中でも3の法則として3つのコンセプトを選び出すことの重要性が強調されている。
 これまでは文章を書くときに、物事をあるひとつの面からしか見てこなかったのだと思う。文章にまとめるときに異なる視点があると、それが矛盾のように感じられて視点をひとつに絞り込んで残りを排除してきた自覚がある。ネタがひとつしかないとはきっとそういうことだ。長文を書こうとするときには、それではいけない。複数の視点があれば、その間の関係を説明する必要が出てくるし、その中で新たな発見もあるかもしれない。それが自然に内容を膨らませ、必然的に文章の量も伸びていく。しかし同時に、複数の視点が衝突しないようにそれらの関係を整理してやる必要もあるはずで、そのために構築力が必要となるに違いない。そして3の法則が3つなのはその視点が3つあれば必要十分で、2つでは足りず、4つは複雑になりすぎるという主張なのだ。
 アイマスのPVでも、ソロよりもデュオ、トリオで組むほうが簡単により長い時間を埋められるとずっと思ってはいた。それでも自分はソロにこだわっているのだけれど、でも、文章に関してはひとつの視点に絞り込んでいるのはそのほうがシンプルで書きやすかっただけだ。だからこれからはたとえ短く文章をまとめるとしても、視点をひとつに絞り込むことはせず、話を膨らませる余地が残るような文章を心がけたいと思う。

 今まで長い間自分のアウトプットについて考え続けてきた。はじめに取り組んだのは性格、あるいは思考のバイアスの問題だった。自分の中の「アウトプットしてはいけない」理由を一つ一つ潰してきた。その次は習慣の問題だった。「アウトプットしない」理由を同じように片っ端から取り除いた。そしてようやく「どのようにアウトプットするか」という技術の部分を考える余裕ができてきたのだと思う。今までは上手にやろうなんて考えていてはアウトプットなんてできなかったのだから。
 これから原稿用紙10枚を超える文章をコンスタントに書けるようになろうと思うのなら、あるネタについて書くときに、もう二つ、ネタを加えるのが重要なんだろう。そうすることでこれまで書いてきたような、矛盾する視点を廃してひとつの視点から見た文章ではなく、複数の視点をその関係を明らかにしながら、それぞれから見えるもが示されていく文章を書くことが可能になる。その先にそれらをどう組み立てるかという文章構築の部分が見えてくるに違いない。そうして構築力を身につけることができれば、文章に限らず、自分のアウトプットの質を高めることにつながると信じている。

 これでようやく原稿用紙10枚分。今までの原稿用紙5枚程度を書く方法そのままで無理やり書いてみたけれど、多分非常に読みにくいものになっていると思う。ここまで読んでくれた人には本当に感謝します。ありがとうございました。