「スノウピー、見つめる」について思うところ

ずっと”人を観察するスノウピー”でありたくて、でも実際には”人の心が分からない僕”でしかなかった自分にとって、この小説は非常に興味深いものでした。後書きの「目立たないでいることに全力を注いでいました」辺りのくだりを読んだ時点でそういう部分は期待していたので、その意味では非常に満足です。

ただ、最後、クライマックスは個人的に非常に残念でした。
理由は二つ。ここから先ははっきり言ってネタバレです。
一つは、最後の仕掛けであるミスリードが機能していないこと。
これは発行時点で「スノウピー1」なんてついているために続刊するのが丸わかりなことも一因なのですが、最後のスノウピーの危機は「助かることがわかりきっている」ので読者(自分)としては、いかにして助かるかか、あるいはその予想を覆していかにして助からなかったか、についてを期待してしまいます。なので、それを抜きにしてミスリードを仕掛けられても正直意味がない。嘘でしたと種明かしをされても、当たり前じゃんとしか返しようがないです。スノウピーのクローンが湧くくらいのトンデモを期待していたのですけれど。

もう一つは、主人公の独白が、らしくなく感じられてしまったこと。
>僕はもともと、他人と心なんて通い合わせたくなかったんだ。
この一文は、言葉通りに受け取ってしまえば、そこまでヒロインたちとの関わりに四苦八苦しながらも不器用に向き合う主人公の努力だとか苦しみだとかを全否定するものです。そして主人公はそこまでずっと言葉を言葉通りに使い、それがまた他人とのずれになっているキャラクタだったので、自分はそれが本心なんだと取りました。でもそんな風に読んだらこの物語のそれまでの積み重ねは台無しになってしまうわけで、裏切られるような残念さを感じてしまいました。
今読み返してみて、人と心を通い合わせることはファンタジーだとか、恥ずかしいだとか書かれているのを改めて見るに、これはきっと「他人と心を通い合わせることを諦めていたんだ」という内容の婉曲的な表現なのだろうと理解しました。けれども”僕”がここだけ妙に婉曲的な表現をする違和感はぬぐえません。ここまでは気持ちよく共感できていただけに、なんでこの表現なのか不思議です。もっとも、これは作者と自分の言葉遣いがずれているというだけの話かもしれませんが。

いいと思うところも書いておこうと思います。
もう一人のヒロインである可香谷さんは”僕”と周囲のとの異質さの象徴であり、恋心にいじらしく空回りする狂言回しであり、結果的に非常に魅力的なキャラである辺り素晴らしいと思います。”僕”が”僕”であるためには二人の間の断絶は不可欠なんだろうと思わされる辺り、ちょっと可哀相な役回りですが応援したいところです。

>「わたしとあなたは、似たものどうし」
スノウピーのこの台詞がこの物語の救いを象徴するのだと思います。小説の語り手という視点を持つ”僕”もまたスノウピーと同じく人間観察者なわけです。そして「人間」として人間の世界の側にあった”僕”の視点はこの台詞で再定義されていて、それがその後の気づきに繋がるのでしょう。その意味で1巻らしい1巻だと思います。
この救いの先に何があるのか、続きを期待しています。