白山さんと黒い鞄4をネタに物語恋愛について語ってみる

ヒロインいじめに定評のある鈴木鈴さんですが、今回は割と白山さんは甘やかされていた感じ。
後書きにはひどいことが書いてありますけどね。
でもそのとばっちりはしっかり周囲に広がっていて、遠咲先輩は笑いが止まらないことでしょう。
(この人と同じぐらいいじめてくるのは三上延さんとかも相当ですが、大好きだ!)

今回は「白山さんにやきもちを焼かせる」と後書きに書いてあるとおり、ただひたすらにそれだけのお話でした。
やきもちを焼く白山さんの可愛らしさが堪能できます。あれだけ可愛ければいじめの手を抜いてしまうのも納得です。反則だ。
主人公はテンプレ通りに優柔不断で、その代わりにそれ相応の報いを受けていなくもない気はしますが……でもやっぱり爆発しろ!
さて「恋に恋する」という表現がありますが、今回は主人公が恋に恋する少年かどうか試される話だったのだと思います。

以下ものすごくネタバレ

恋愛人格って当て馬過ぎて存在が哀しい

「恋愛」が人格化されたときに、「恋愛」と恋愛するというのはどういうことなんでしょう?
あるいは恋愛が理想化された「恋愛」に、人であるヒロインが優る点とは何なのでしょう?
一目惚れから始まる恋愛というのは特殊です。なぜならそこには前提となる関係が存在しないからです。
そこにある関係は恋愛しかない。たいていはそれ以外の関係がすでに存在するのが普通です。
「恋愛」の恋愛は必ず一目惚れから始まります。「恋愛」はそれ以外のものを持っていないのですから。
その代わり「恋愛」は恋愛を前提とします。つまり、スタート時点で告白することが確定しています。
恋愛は理不尽ながら相当強力な動機付けや説得材料、あるいは物語的舞台、となります。
ラブストーリーというジャンルが成立するくらいですし、ことライトノベルでは恋愛要素のない物語は皆無と言っていい。
恋愛という舞台が成立したら、それに対する立ち位置を表明できなければ舞台から落ちます。
「恋愛」のアドバンテージとは恋愛という舞台の中央に初めからいることにつきます。
ほかのヒロインが態度を決めかねているのを片目に主人公をドギマギさせる手練手管を尽くすことができるわけです。
しかし「恋愛」がゴールするにはハードルがあります。「恋愛」はハッピーエンドを迎えるには抽象的すぎるのです。
「恋愛」は普遍的で抽象的であるが故に、そのままでは特定個人からの愛着を得られない。
そのためひとたび人であるヒロインが自覚したり、告白したりと舞台に上がった瞬間、初めにあったアドバンテージはないも同然となります。
なぜなら人であるヒロインは主人公と、恋愛以外の関係を持ち、そこで愛着を互いに持つからです。
そうした関係は恋愛の舞台に上がるまでは、中身を実質恋愛関係に置換されながらも舞台に上がらないでいるための理由となります。
しかし一度舞台に上がれば、そうした関係は恋愛の舞台へと吸い上げられて恋愛関係を強化する要素として再定義されます。
「恋愛」が当て馬で終わらないためには恋愛関係の上にそれに対抗する要素を積み上げられなければなりません。
そのためには「恋愛」という抽象存在から、主人公の隣にいるただ一人へと個性を獲得する必要があります。
それはたとえば何気ないやりとり一つだったり、果ては既成事実だったりするわけです。
だから、主人公が個性化されない「恋愛」に愛着を持つことができないことに気づいたならば、この物語は終わりです。
今回、白山さんは甘やかされていたと書きましたが、それは彼女が舞台に上がるまでもなかったからです。
それでも白山さんは舞台に上がります。恋愛競争のためではなく、主人公への正当な報酬として。
何とも甘甘で素晴らしい。