反省部屋

書いておかないと忘れるのでここに反省を書き留めて晒します。微妙に恥ずかしいので軽く埋まります。
頑張って書いていたら操作ミスで消えてしまった。でも書き直したらかなり読みやすくなったかも。
関係ないですが3万Hitしてますね。どんな人がここを読んでいるのかきわめて限られた人しか分からないのですが見に来てくれている人には感謝します。これからも生暖かく見守っていただけると嬉しいです。


今回のテーマは最終的に「ドキドキ雪歩」になったけれど最初は「ねえねえ雪歩こっち向いて」だった。
アップのカメラワークで目線を揺らして「FirstStage」の緊張を表現できないかなと言うのが初めの着想。
曲を聴いているうちにスネアが鼓動に聞こえてきた(四つ打ちっていうの?)。前半は緊張の鼓動。後半は高揚の鼓動。そしてその間を静かな部分が繋いでいる。
その変化を「FirstStage」として表現しようというイメージを固めて制作に入ったのが10月末。
ダンスあわせは早かった。後半はそのままFirstStageと決めていたし、前半はそんなに悩まずに思い出をありがとうを選び、それが自然とスローになった。
でもその先は全然見えていなかった。FirstStageをmidiに打ち込んでしまうくらいには行き詰まっていた。
おっぺけPの「今夜は青春」(どうでもいいけど何度見ても今夜は春香に一瞬見えて困る)を見たのは12/7の日曜の夜で、前日土曜一日制作に充てたのに外堀を埋めるようなことしかできなくて年内の完成に絶望を感じ始めた頃だった。その日に書いたように(http://d.hatena.ne.jp/toiro/20081207)見て本当に衝撃を受けた。
そのとき自分は自分が今までやってきたMADの作り方に飽きと疑問を感じていて、だから固めたイメージを形にするために良い技術・演出は何だろうかと悩んでいた。ぶっちゃければ自分は抜きを使ってみたかった。抜きを使うのが当たり前だという風潮に乗ってみたかった。言い訳するならば曲負けしてるといわれるのが怖かったからなのだけど、それはつまり抜きを使った演出をする技術を得るためにMADを作ろうという意味にしかならなくて、技術のためのMADという目的と手段が入れ替わった考えだった。私はカメラワークを誉められることが多いけれど、だから自分はカメラワーク以外に何がいいかと考えていたのだ。
そんな考えを「今夜は青春」はきれいに吹き飛ばしてくれた。おっぺけPは私がニコマスを見始めた頃から活躍されていて、初めて見たときになんて魅力的なんだろうといっぺんにファンになった。Pの作品は全部見て、そして全部気に入った。だから私の作ってきたものはおっぺけPに強く影響を受けている。おっぺけPは心の師匠だ。「今夜は青春」でおっぺけPは抜きなんて(少なくともあからさまには)使っていないけれど明らかに進化していて、にもかかわらず印象は初めて見たときと変わらなかった。自分が諦めようとしていた所で自分よりずっと先に立つ人がいることに、私はどれだけ敗北と安堵を感じたか。今なら新しい方向性なんて、自分の持てる力を振り絞ってなお足りないときに初めて考えればいいと思える。イメージをまずは自分の今ある技術で精一杯表現する。他人の芝生を見るのはそれからでいい。
zeitさんに「今夜は青春」と演出の共通点を指摘されたけれど、こんなありさまだから影響されない方がどうかしてる。ただ自分ではそれが周囲から見てどの程度判るものなのか想像もつかなかったけれど、やはり見る人が見れば分かるらしい。
ちょこぱいの時からこの悩み始まっていて、あの制作に異様に時間がかかったのもそのせいだった。そのときも最後には諦めたんだけれど、でもまだ次こそは新しい技術でなんて馬鹿なことを思っていた。
悩みが無意味だと分かれば後は時間との戦いだった。曲を聴いてドキドキし、そのドキドキを映像にする。そのための自分の一番の武器はカメラワークだった。気がつけば時間もないのにNiveを初めて実践投入してパーティクルで星を作ってた。抜きも必要になれば気がついたら抜いている。そういうものだと実感した。他の人は知らないけれど、自分はそういう不器用な人間だ。


それなりの犠牲も払いつつ12/24に完成させることが出来た。誕生祭というだけでなく元のRemixの一周年という意味でも12/24に上げたかったし、他にも年内に終わらせたい理由があった。完成させられて本当に良かった。自分のPデビュー一周年は悩みで終わってしまったわけで、同じ過ちを繰り返さずに済んだ。二度と同じ過ちを犯しませんように。