技術とかセンスなんてハッタリに過ぎません。

ふと、AdobePのドリーム(コロコロ)クラブ : 褒め方貶し方を再読した。
当時もちょっと乗り遅れくらいのタイミングで読んで、何事か書きたいと思いつつ時間が流れてしまった。
動画造る気力の涸れた微妙な時期だし、この際にちょっと吐き出しておこうと思う。
AdobePは、自分の主張を広めるために、煽りめいた文章が必要だと思ってああいう書き方をしたんだろう。
でも、その主張の内容はそんな煽りが必要ないようになって欲しいってことなのかな、と思う。
反論を引き出すことのなんと容易いことか。それに比べて――
飛びすぎ?
動画への感想文を、恋文にたとえる人もいるけれど、それを言うなら動画だって同じ。
見て欲しい人に、伝えたいことが伝わって欲しいと、ニコニコに上げている。
技術とかセンスなんてハッタリに過ぎません。
再生数を稼げば、それだけ伝わる人が増えるわけで、もちろん大切なのだけれど。
だからそこをほめられても、実はそんなに嬉しくなかったり。
いや、もちろん、それでも、嬉しくないワケじゃないけれど。
言葉をかけてもらえるだけありがたいと思う気持ちもなくはない。
なくはないけれど、どんな動画にでも言えるような、無難な、一軸の、縮退したコメントはちょっと空しい。
なんて、鼻で笑われるようなことを思ってしまう。
自分は、「伝えたいこと」が伝わるなんてあんまり期待できてない。
それでも何かを「伝えたいこと」にしないとそもそも何も伝わらないと思っている。
自分の「伝えたいこと」がどこまで伝わったのか、どう形を変えたのか、自分はそれが知りたくて、
だから自分の動画の感想のエゴサーチが止まらない。
当たり前のことだけれど、感想に正解なんてない。ただ伝わり方があるだけで。
だから、技術とかセンスなんて言葉で済まさないで欲しい。
感想を下さい。