「東京都青少年の健全な育成に関する条例の一部を改正する条例」について思うところ

東京都青少年の健全な育成に関する条例の一部を改正する条例」に関する話題を見ていて思うことは、この条例案がなんて人嫌いな感情でできているんだろうってこと。他者を全く信じず、それどころかいなくなればいいという悪意すら感じる。これが成立すれば人同士がもっと不信でもって傷つけ合う、人が人を排斥する世の中になって落ち着くだろうと自分の人嫌いの部分が成立を望んでしまうくらい。自分の社会に対する悪意の表明として賛成してあげてもいい。ビョーキですね。
厳密に運用しようとすれば当然児童の性犯罪被害者の体験談も検閲対象になるようになるのでしょうね。ノンフィクションなら許されて、フィクションなら許されないとか、娯楽目的かどうかとかなんて「犯罪者予備軍」の人たちには関係ないでしょうから。そして社会は児童に対する性犯罪から目を塞ぐことができるようになるわけです。その陰で何が起きることか、想像するとドキドキします。「健全」な人たちは誰も何が起こっているのか想像することができなくなってしまって何も気づかないことでしょう。
娯楽目的のものを消せれば終わりだと、自分たちの見えないところに消えればいいと、規制に賛成する人たちは思っているんでしょうけれど、法律になってしまったときにそうならない保証なんてなにもないわけです。その法律のせいで上で書いたような状況にならないなんて誰も言えない。
表現の自由なんて青少年保護のためには不要だとおっしゃる人々には「知る権利」なんて過ぎたものの代わりに、ぜひ「知らずにいる権利」を差し上げたい。それで存分に児童ポルノから目を塞いでくれた方がどんなに平和なことか。
見た範囲で問題を一番よくまとめてるのはここだった。
http://heboro.blog.so-net.ne.jp/2010-03-19