雪歩がアイドルを続ける理由

萩原雪歩プロデュース終了にてot02070さんが

私が辛かったのは、何故アイドルをしたいのかが見えなかった事です。
父親に逆らってアイドルをしたいのであれば、相当の理由があるはず。
理由を述べるコミュがあるかも知れませんが、巡り合えませんでした。

という風に書いています。それを見たとき自分は雪歩にとってアイドルという職業は似合ってると感じていると気づいたのでここでその理由について書いてみます。ただ、これは私独自の解釈(というか妄想?)に過ぎないことを初めに断っておきます。雪歩のプロデュースはまだ途中だったりしますし。



雪歩というキャラクタに与えられた物語は「自己否定」だ。自分を肯定できずに自己否定を繰り返す女の子が、そんな否定する自分自身を否定しようとする物語。
だから雪歩が望まず踏み込んでしまったアイドルという道をあえて行く理由は「自分を否定するため」だ。上のエントリのコメントで中佐さんが

また面白いのは、雪歩は作中では美希なんかと同じように少し「危うい」女の子として描かれているのに、MAD-PVの中ではその容姿からでしょうが凛々しかったりカッコイイ女性としての存在としての起用を良く見ます。

という風に書かれているけれど、もともと雪歩というキャラクターとアイドルとしての雪歩は乖離している。アイドルというのは愛されるべき、肯定されるべき存在だ。だから雪歩は素の自分のままでは決してアイドルになれない。なぜなら自分が否定している「自分」が他人に肯定されるという矛盾は、「自分」が否定されることと同じぐらい恐ろしいことだから。
雪歩はアイドルになることで自分を否定している。そして自己否定から生まれた「アイドル」は他者から肯定される。雪歩はアイドルになることで他者からの肯定を矛盾無く得ることが出来る。自分を否定することと、他者へ肯定を求めることが矛盾無く同居できる。だから雪歩はアイドルを続けるのだ。