コンセプトワークに関する独り反省会2

※このエントリには十色のこれまでのMADのコンセプト、つまりはネタバレが記されています。それでも構わないという方だけお読みください。
このエントリは以下のエントリに修正・追記をしたものです。
コンセプトワークに関する独り反省会 http://d.hatena.ne.jp/toiro/20080315/1205538036

あなたは何故そのMADを作りますか?

コンセプトというとなにやら堅苦しい感じがするし、たいそうなことを考えなければならない様な気がする。けれども突き詰めればどうということもなく、なぜそれ作るのかというただそれだけの理由に過ぎないのだと思う。何故そのMADを作るのか、その問いに対して用意される答えがコンセプトだ。
それはMADを作りたいというだけの漠然としたものでは役に立たず、自分がそのとき作ろうとしている一本のMADのためだけに用意された答えでなければならない。なぜなら「何故そのMADを作るのか?」と自分に真っ先に問うてくるのは他ならぬ自分だ。その問いを跳ね返し、MADを完成させるためにはそのMADでなければならない理由が必要だからだ。
いかに自分が作ってきたMADのコンセプトを表にしてみた。作っている最中は特に文章化しなかったし、文章にすることで失われるものも大きいため決して正確なものではない。

ゆきほでぐるみん
「やるしかないわめ」の代わりに「埋まっておきますぅ」と雪歩に言わせる
天使のハートブレイク
この曲はやよいが歌ってる様にしか聞こえない
冬だより
そういえば中の人一緒だよね。キャラクタも見た目似てるし
時の流れが止まって
正月使ってMADを作ろう→大晦日に発掘されたのせっかくだし使おう
White Lie in Black
彩度低めの作品でイメージチェンジ。持ちネタで一番よさげなのはこれか。

どこがコンセプトなんだと突っ込まれそうだ。自分でもそう思う。でもどれもその時点で自分にとって「その」MADでなければならない理由として十分だったのだ。他にも今お蔵入りになっているものがあるが、どれもその時点で自分の技術が追いつかなかっただけで今も作る理由が失われてしまったわけではない。
言いたいことは、コンセプトというのは第一に自分がそのMADを作る理由になっていなければならないということだ。逆に言えばそうでなければどんなに立派に見えるコンセプトであったとしてもそれは完成しない。「ゆきほでぐるみん」はあのネタに共感する人間なんてせいぜい二桁だと思ったし、今もそれは変わらないけれど、それでも自分は作りたかったし今だって「まだまだぁ」版を作ってもいいと思っている。誰も期待してくれなくても。

他人は何故そのMADを見ますか?

コンセプトはもう一つの面がある。それは誰がそのMADを見るのかを決めること。一般的にコンセプトというとこちらの意味の方が強い。また見たくなるMAD、印象に残るMAD、真似したくなるMAD、そういった見ていて心のどこかが動かされるMADはそれを誰が見るのかということが必ず意識されていると思う。誰がそのMADを見るのかという視点が欠けているMADは簡単に忘れられてしまうし、そもそもジェノられたりして見てももらえない。自己満足でいいと思うなら別に構わないと思うけれど。でも最低限、「自分という他人が見る」という視点すらないMADに価値はあるのかどうかは疑問。
誰が見るのという視点でさっきのコンセプトを書き直してみる。

ゆきほでぐるみん
「やるしかないわめ」の代わりに「埋まっておきますぅ」と雪歩に言わせて笑ってくれる人いますか?
天使のハートブレイク
この曲はやよいが歌ってる様にしか聞こえないと思うよね?
冬だより
そういえば中の人一緒だよね。いや、それだけなんだけどさ。
時の流れが止まって
とりあえず「春香さんかわいいよ春香さん」と言ってみたかったんだ。
White Lie in Black
イメージチェンジしても次を期待してくれた全ての人が失望しないものを。

こうして見ると「時の流れが止まって」が伸びない理由が分かる気がする。ほんとにただただ可愛いだけでその先ないのがこの時点で明らかで、そりゃあ何番煎じだよという話。「ゆきほでぐるみん」はターゲットがピンポイント過ぎる上に処女作で技術的にも微妙だからまあしょうがない。「冬だより」もコンセプトが動画にあまり関係ないし。まあ、わかばに見えるあのカットは自覚なかったけれどこのコンセプトから来たんだろうなぁ。
「天使のハートブレイク」は全てのやよいスキーという明白で割と広いターゲットが決まっていて、伝えたいメッセージもはっきりしているから強いんだろうなぁ。「この曲やよいに似合いすぎだから」って人に見せたくなる気持ちは理解できる。見る専祭りなどで取り上げてもらえているのもそういうことなんだろう。
「White Lie in Black」は……無謀だよなぁ。だってこんなの不可能に近い。でもだからこそこのコンセプトを追求したことによって見る人に伝わる何かができたのかも、とも思う。